三重県桑名市 赤線跡「桑陽園」

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東海道五十三次 42番目の宿場町

東海道五十三次の42番目の宿場、桑名へ
大塚本陣跡だった船津屋さんでランチ後に界隈を歩いてみました。

歌行燈執筆場所

船津屋の前に建っていた「菊水」さんはもう解体されたようで現存していなかったです。

2008年頃

東海道を歩く

七里の渡しの石碑方面に歩いてぐるっと回ると東海道、
2階の壁が粋でお洒落なお宅まだ変わらずにありました。
お料理屋さんだったのか?旅館?一般住宅として建てられたとしたら粋すぎる!

道筋真っ直ぐ歩いていくと、日の出さん
全国的に有名な蛤料理屋さんです。
お向かいにテイクアウトのお店が出来てました。
隣の建物も新しいなぁ~と思っていましたが、帰宅後に昔の写真を見ていたら発見しました!
日の出さんの玄関先に通じる道の横の建物が外壁が綺麗にされていて気付かなかったですが
以前は前面にオーラだしまくりの建物でした。
総タイルで円柱

美濃街道に出て船津屋の方へ戻ります。
「四海波」閉店されてるみたいですね。お隣の売り物件になってました。
売物件のお隣のスナックは営業されてるっぽいです。
こういう地元民しか入らないような飲み屋さんって入っていたいけど、、勇気がいりますね。(^^;
月日の経過もありますが、やはり人が活用しなくなると荒れますね。

2008年当時、まで営業されていた「しかいなみ」さん

路地

こんな路地もいいですよね。
井戸水もまだ現役で汲み上げて使っているっぽいですね

路地の角の建物も円柱が面影を残しているのかなぁ~
足元のタイルは新しいけど、出入り口の形状とかね。。それっぽい。

今では静かな街ですが昔は熱田から渡し舟で来る人で賑わいがあった街だったんだろうなぁ~と
想いを寄せながら歩きます。

通り井

桑名は地下水に海水が混じるために寛永3年(1626)に町屋川から水を引いた水道をつくり
町内の主要道路の地下に筒を埋め、所々の道路中央に正方形の弁を開けて一般の人々が利用した。
昭和37年(1962)工事の為に道路を掘っていて「通り井」後の一つが発見された。とあります。

おまけ
2008年当時、もう稼働していなかったと思いますが、ビジネス旅館初音

撮影時2008年

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この記事を書いた人

海外生活を経て改めて日本の文化に興味を持ち
遊郭建築や古い建築物を巡っています。
花街の歳時記を記録していきます。

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