古市の歴史
江戸の吉原、京都の島原と並び、
江戸時代には江戸幕府非公認ながら「五大遊郭」のうちの一つが伊勢の「古市」
「一生一度は伊勢参り」と言われたくらいブームになり、
お伊勢さんの「おかげ参り」の帰路、旅人の「精進落とし」で栄えた場所です。
歌舞伎の演目にまでなった事件が起こったり、歴史ある遊里です。
置屋、お茶屋さんが70軒、千人もの遊女がいたそうです。
泊まれる遊郭建築
古市で当時の面影を残すものは麻吉旅館ぐらいで、1782年の古市街並図には「麻吉」の名があり、
東海道中膝栗毛に登場することから、200年以上の歴史を持っています。
当時の名は「花月楼 麻吉」現在は麻吉旅館です。
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油屋騒動
古市の代表的な妓楼としては備前屋、杉本屋、油屋、千束屋、が有名な遊郭でした。
油屋で起こった殺傷事件、油屋騒動は歌舞伎・人形浄瑠璃の演目として人気の「伊勢音頭恋寝刃」の
題材になっています。
「古市十人斬り」といわれる事件は孫福斎と遊女・お紺が下座敷で親しくしていたところ、
仲居のおまんに引き離され、他の客の相手をさせられたことから斎が激昂し、
客や関係者を次々斬るという騒動を起こした事件です。
「孫福斎」と「油屋おこん」の菩提を弔う比翼塚
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伊勢音頭
「伊勢は津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」の歌いだしで始まる
伝統的な民謡『伊勢音頭』
原型は伊勢神宮で二十年に一度行われる遷宮式の神事で歌われる歌「お木曳木遣」でした
備前屋は古市屈指の大楼閣で大広間「桜の間」で亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を
遊女に唄い踊らせていました。
右から3人目の子!とかそんな風に選んでいたんでしょうね。
(京都祇園甲部の都をどりは亀の子踊りを参考にして明治5年(1872年)に始められたもの)
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【歌詞】
伊勢はナー津でもつ津は伊勢でもつ(ヨイヨイ)尾張名古屋は城でもつ
(ヤートコセーノヨーイヤナ アララ コレワイセ コノヨイトコセー)
一度、見てみたいですね。
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お杉とお玉
江戸時代、伊勢神宮の外宮と内宮のあいだの「間の山」に小屋掛けして芸をする女芸人が三味線、胡弓に合わせて俗謡を歌い踊り、旅人が投げるを撥で受けたり、よけたりして興行していた場所。
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全ての写真は2008年頃に撮影したものです。
終わりに
麻吉旅館に宿泊した事がないので一度は泊まってみたいですね。
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