五条楽園の歴史
鴨川に掛かる五条大橋すぐそば、鴨川と高瀬川に挟まれた辺りに五条楽園だった場所があります。
元は五条橋下(五条新地)、六条新地、七条新地が隣接する複数の遊郭で、
大正時代に合併して七条新地と呼ばれるようになりました。
芸妓と娼妓が混在する花街で戦後は赤線となり営業を続けていたそうです。
芸妓より娼妓の人数の方が多かったようですね。
1958年(昭和33年)の売春防止法施行後に五条楽園と名を変えました。
花街と廓の混在
京都・宮川町も芸妓・舞妓、娼妓と混在していた花街だったらしく、
現在は花街というと芸妓舞妓さんがいる街という認識ですが、
昔は多くの花街は芸舞妓と娼妓は混在していたよいです。

知り合いの芸妓さん(戦前生まれ)の話では、
子供の頃に道で会うと飴ちゃんとか貰っていた話や
お座敷で娼妓の方がお客さんと一緒に上座に座っていた話を聞かせてくれました。
芸舞妓さんが”もてなす側”で娼妓側はお客さんと一緒にお座敷にあがっている(一夜妻だったので)お客さん側だったって事ですね。
現役だった2007年当時の五条楽園
五条楽園も島原と同じように足を踏み入れると独自な雰囲気がありますよね。
島原とは違った暗い雰囲気。。。。
玄関が開けっ放しのお店が多くて、ふらっと入ってしまいそうな雰囲気です。
看板猫(?)がお留守番しています。笑




現役だった頃なので昼間でも歩いて写真を撮るのに少し勇気がいりますね。
警察により解体されてから少しずつ飲食店や安宿が増えて明るい雰囲気になっていきました。










五条楽園の中で目を引く旧三友楼と平岩旅館
旧三友楼は2021年11月に解体されたそうです。
転業旅館だった平岩旅館は2016年に海外旅行者をメインとした旅館にリニューアルオープし、
現在はレンタルオフィス等として利用されています。







解体後の旧三友楼跡地にタイル部分だけ少し残っていて
不思議に思っていたけど、
話に聞くところ、某有名な建築家さんの指示で残されているとか・・・
一体、跡地に何が出来るんでしょうね。
木造三階建の五条会館(五条楽園歌舞練場)
歌舞練場といういうからには芸妓さんが舞をしたりする場所なんだろうけど、
一体、いつまでこの五条楽園に芸妓さんが存在していたのだろうか??と疑問が残りますが、
祇園などの花街、同様に客がお茶屋に入り、置屋から派遣されていたそうです。


警察の摘発で解体
2010年(平成22年)京都府警によりお茶屋と置屋の統括責任者、経営者らが売春防止法違反容疑で逮捕され、お茶屋と置屋は一斉に休業に追い込まれています。
11月には『五條楽園』の看板も撤去され、翌年2011年に解散。
当時は大きなニュースだったと思いますが、今更、売春防止法違反容疑ってと思いましたが、
任侠関係に資金が流れているからかなぁ~とか勝手に想像していました。
事務所もありますしね。
また近いうちに散策してみたいと思います。


五条楽園のその後
2016年 旧五条楽園にあるカフェー調建築を利用した五條製作所へ
(当時)芸妓さんに同行して頂きましたが、何となく雰囲気ありますよね😀


京都市☆消滅した日本最古の花街~島原~☆
京都市 五番町遊郭跡


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