繊維で栄えた街
“赤線跡や遊郭に興味を持った切っ掛け
子供の頃に住んでいた家の裏に芸者さんが住んでいたこと、
昭和初期頃まで芸者さん達が呼ばれて宴会などが開かれていた料理旅館が同じ町内にありました。
津島市は繊維業が盛んで栄えた町で、繊維で富を得た旦那衆が芸者遊びをしていたそうです。
子供の頃、友達の家に人が入れる大きな金庫があったので、
繊維産業で財を成したんだと思います。
東海テレビの放送を見ていたら
昭和10年頃の愛知県津島市で撮られた場所を探すという内容の場所が「まのや」さんでした。
昨日、書いた記事に関連したことが今日テレビで放送されてるなんて凄い偶然!!と少し感動したので
「まのや」さんのことを書きます。


まのや室内
随分前にカフェとしてオープンされていた時にお邪魔しました。
電話室とかもあったりして、趣ありました。
おばさんに色々と写真を見せてもらいましたが、津島図書館に寄付されたそうで、
あまり残っていないと話されていました。
当時、検番だった建物の改築の話があったそうで、その時の図面も保管されているそうですが、
ボロボロで見せれる代物じゃないから・・・と見ることは出来なかったですが
図面の中に診察室もあったそうです。
(検番の場所は天王川公園御旅所前のファミリーマートです)


津島市の赤線
昔、父親が映画館の前はダンスホールだったとか、そんな話を聞いた覚えがあったので、
きっと赤線跡なんだろうなぁ~と漠然と思っていました。
津島駅から西に天王通りを津島神社に向かうと池須町があります。

津島市の芸者さんの資料
芸者さんと旦那衆が宴会している映像や大通りを歩く芸者さん達の映像が残されている
DVDが津島図書館で借りることができます。
- 現在の”まのや”さんは津島神社側の建物でフランスレストランを営業されています。
津島のまつり
毎年7月第四土日に開催される天王川祭り
祭舟は「車楽(だんじり)」と呼ばれます。
宵祭り
旧津島5カ村の米之座、下構、堤下、筏場、今市場5艘が半円の山型に400箇あまりの提灯を飾り、
中央に立てた真柱には、平年は12箇、旧暦うるう年には13箇の提灯を掲げたまきわら船です。
朝祭り
宵祭りから装いを新たにして、能人形が飾りつけられた車楽舟5艘が出航します
先頭の市江車から10人の下帯姿の若者が鉾を持って次々に川に飛び込み、舟より先に着岸して御旅所の神輿に参拝します。
続いて車楽舟から稚児が上陸して、警固役の肩車に乗って御旅所を参拝し、神輿を還御供奉して津島神社に行きます。
津島神社の祭礼として600年近く続く天王祭、
永禄元年(1558年)織田信長が現在の御旅所付近で朝祭を見学したという記録が残っています。

名物 あかだ、くつわ
あかだ
米の粉を湯で練って団子状にしたものを、ごま油で揚げた油菓子です。
砂糖や甘味料は一切用いないのが特徴。
江戸時代以前から作られいます。
くつわ
米の粉に砂糖を混ぜて団子生地を作り、これをクツワ型に成型したもの
あかだ同様に胡麻油で揚げた菓子です。
江戸時代に創作されたという。あかだと異なり甘く味付けがなされています。

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