愛知県名古屋市港区「港陽園」遊郭跡

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移転続きだった港陽園

熱田遊郭→稲永遊郭→港陽遊郭という順番に移転されていったみたいです。
熱田には東海道もあって、七里の渡しので渡った先の桑名にも遊郭(赤線)があったので、
勝手に納得。人の集まる所には・・・ってやつですね。
明治後半に熱田から埋め立て地であった稲永へ移転するようにお達しがあり、稲永へ移転
その後、戦争で消滅→戦後に港陽園の場所に赤線ができた。

詳しく調べられた方の記事を読むと、戦後の復興計画として県や市の指導の元に出来たのが
港陽遊郭で、最後は売春禁止法によって終焉を迎えた感じですかね。(簡単にいうと)

稲永遊郭だった土地の「申」の地形が廓だ!!って感じますね。

数少ない建築物

やはり港陽園では、かもめ荘が有名すぎですよね。
建物の大きさも圧巻ですし、そしてピンクのタイルが目を引きます。

波に”かもめ”の透かし彫り。。。凝ってて萌えます。(笑)

トタン看板の錆具合も年代を感じます。
薄っすらと、炊事場付きの貸間あります。かもめアパート かもめって書いてあります。

商店街の跡地

港新世界商店街のアーケードがあった頃。このアーケードを進んでいくと港陽園に入っていきます。
(撤去済み)

かもめ荘の横のロータリーの所にも看板がありました。(撤去されています)
この頃からアーケードや看板があっても商店街の面影は全くなかったです。

写真は2008年頃です。

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この記事を書いた人

海外生活を経て改めて日本の文化に興味を持ち
遊郭建築や古い建築物を巡っています。
花街の歳時記を記録していきます。

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