京都☆太夫さんがいる街・島原~輪違屋~

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輪違屋

島原の置屋さんで明治以降に兼業で揚屋となり、現在も営業中です。
(一見さんお断り)
他に揚屋である角屋(重要文化財)が建築物として現存しています。
元禄年間(1688-1704)創建と伝えられている。
置屋として創業当時の名は「養花楼」
お茶屋兼業は明治5年(1872年)より、
現在の建物は安政4年(1857年)に再建されたものであり、
明治4年(1871年)にほぼ現在の姿となった。
昭和59年(1984年)に京都指定有形文化財に指定
2階は傘を張った襖をたてる傘の間と、土壁に赤や黒の押型の紅葉を散らす紅葉の間があります。

2008年撮影

京都市☆消滅した日本最古の花街~島原~☆

夜の輪違屋

初めての島原訪問から3年後、まさか客として訪れるようになるとは思ってもいなかったです。
当時知り合いだった舞妓さんに輪違屋さんに行ってみたいなぁ~と話したら、
その日に連絡を入れて連れて行ってくれました。
6月の梅雨時期でシトシトと雨が降っていた夜。
やはり島原大門をくぐって島原に入ると雰囲気がガラッと変わるんですよね。
輪違屋さんの前にタクシーが止まると雰囲気MAXでした。

通されたのはカウンター席のBARでビールを頂きました。
高いワインやシャンパンを飲んだわけでは無いので、
お支払いでビックリするよな価格では無かったです。

当主が話好きな方なので、なかなか2階のお部屋を見学に行けなくて(笑)
随分と遅い時間になってしまって、お茶屋さんから早く舞妓さんを帰して欲しいと連絡が入り、
やっと2階のお部屋を駆け足で見せてもらいました。
ゆっくりと見学できたのは、また数年後の京の夏の旅で開催された輪違屋見学ツアーでした。

また機会があったら夜の輪違屋さんに行ってみたいような、
行きたくないような・・・(笑)
夜は雰囲気が怖かったです。

道中傘を張り付けた襖。高の文字は当主が高橋さんだから、

当主が書いた本を購入したらサイン書いてくれました。

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この記事を書いた人

海外生活を経て改めて日本の文化に興味を持ち
遊郭建築や古い建築物を巡っています。
花街の歳時記を記録していきます。

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