赤線跡・遊郭跡– category –
-
赤線跡・遊郭跡
京都の赤線跡・旧五条楽園で食べ歩き
元お茶屋さん「たか橋」 五条楽園跡地にある元お茶屋さんの「たか橋」でお蕎麦を食べに行ってきました。玄関の「お茶屋 たかはし」の文字と五条楽園の紋が入った提灯が趣を感じます。 店内 1階と2階のどちらかに通されます。一人だったので、壁に向かっ... -
赤線跡・遊郭跡
大阪府和泉市☆信太山新地と信太山に残る歴史
信太山(しのだやま)新開地 歴史は古く江戸時代には熊野参詣の「精進落とし」の遊里として栄えていたようです。1919年(大正8年)陸軍信太山駐屯地が設立され、軍隊の慰安所となり、兵庫県の丹波篠山、北海道の旭川、広島の呉などのように日本軍に付随してで... -
赤線跡・遊郭跡
五番町夕霧楼の小説と映画の感想
五番町夕霧楼(水上勉 1919-2004 福井県生れ) 赤線、遊郭建築に興味を持ち始めた頃、京都上京区にある五番町が舞台になっていたので読んだ小説です。 貧しさ故に自ら京都五番町の遊郭に身請けされた主人公の夕子が京都の禅寺「鳳閣寺」(モデル金閣寺)の学... -
赤線跡・遊郭跡
飛田遊郭(飛田新地)鯛よし百番
飛田遊郭 1912年(明治45年)難波新地乙部遊廓が全焼するミナミの大火が発生し、廃業・移転を迫られ1916年(大正5年)に現在の大阪市西成区山王3丁目辺りに移転。1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田新地料理組合』となっていますが、表向きは料亭... -
赤線跡・遊郭跡
京都市 五番町遊郭跡
五番町の歴史 江戸時代初期に北野天満宮、愛宕山の参拝客を相手に茶屋をはじめ、花街として発展していきました。芸妓と娼妓混合の街だったらしいですが、徐々に娼妓主体の街になっていきました。明治に入ると五番町は独立の遊廓として認められます。近くに... -
赤線跡・遊郭跡
京都八幡市「橋本遊郭跡」遊郭建築見学に行く
旧第二友栄楼 (美香茶楼) 旧橋本遊郭の「旧第二友栄楼」が中国茶が飲める「美香茶楼」カフェとして2021年12月28日にオープンした事を知ったので突然行ってきました。予約なしで行ったので、内部見学できたらラッキー!と思いながら向かいました。橋本に来... -
赤線跡・遊郭跡
京都の赤線跡地 「五条楽園」現役だった頃の面影
五条楽園の歴史 鴨川に掛かる五条大橋すぐそば、鴨川と高瀬川に挟まれた辺りに五条楽園だった場所があります。元は五条橋下(五条新地)、六条新地、七条新地が隣接する複数の遊郭で、大正時代に合併して七条新地と呼ばれるようになりました。芸妓と娼妓が混... -
赤線跡・遊郭跡
遊女の歴史「平安時代」
平安時代の遊女の呼ばれかた 奈良時代の遊行女婦が平安時代になると遊女(あそび)と呼ばれるようになっていきます。平安後期には学者・大江匡房が漢文体の短編「遊女記」で遊女の様を書き、同時期に書いたと思われる姉妹編の傀儡子記(くいらいしのき)に... -
赤線跡・遊郭跡
遊女の歴史「最古の和歌集 万葉集」
遊女っていつからいるの? 大ブームの鬼滅の刃、遊郭編がテレビ放送中ですが、子供に遊郭をどう教えるか?と話題になっているらしい。子供に説明するなら、大人の男性が女性にお酒を注いでもらってお酒を飲むところ。かな全部説明する必要は無いしね。 大... -
赤線跡・遊郭跡
愛知県名古屋市港区「港陽園」遊郭跡
移転続きだった港陽園 熱田遊郭→稲永遊郭→港陽遊郭という順番に移転されていったみたいです。熱田には東海道もあって、七里の渡しので渡った先の桑名にも遊郭(赤線)があったので、勝手に納得。人の集まる所には・・・ってやつですね。明治後半に熱田から埋...