京都府京都市「撞木遊郭」

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忠臣蔵の大石内蔵助

毎年12月も暮れに近づくとテレビでよく放送される「忠臣蔵」
京都市伏見区撞木町には大石内蔵助が遊興したと伝えられる廓跡があります。
赤穂浪士を率いる大石内蔵助が敵方の目を欺くため遊んだ廓があった場所です。
撞木町での「密謀は成就する」と言われていたそうです。

赤線跡や遊郭跡を歩き始める前までは大石内蔵助が遊んでいたのは
祇園一力さんだと思っていましたが、実際は撞木遊郭で遊んでいたみたいですね。
歌舞伎で上演される「仮名手本忠臣蔵」で遊興した場所が一力茶屋なので、
こちらのほうが有名になってしまったようです。

撞木遊郭入口

右の柱には「橦木町廓入口」左の柱には「志ゆもく町廓入口」と書かれています。
柱の裏側を見てみると大正七年八月吉日と書かれています。
西暦1918年だと約100年前に建てられたものですね。
当時はどんな街並みが広がっていたんでしょうね。

萬屋の石碑

大石内蔵助が通って遊んでいた萬屋があった場所
“よろづや”の石碑が会社の駐車場の一角にあります。
駐車場の敷地でも、きちんと残されているところが嬉しいですよね。

撞木町遊廓の跡を示す石碑

 撞木町遊廓は,慶長9(1604)年渡辺掃部・前原八右衛門の両名により開設された。伏見の発展と共に元禄期(1688~1704)全盛を迎え,赤穂浪士を率いる大石良雄(1659~1703)が敵方の目を欺くため,この地で遊興したことで知られる。この碑は,撞木町遊廓の跡を示すものである。

フィールドミュージアム京都

疎水の名残り

疏水を越えて渡っていた橋の名残り

大石忌

3月20日に大石忌が行われます。祇園 四条花見小路の角にあるお茶屋「一力亭」で行われる行事で、
「一力亭」内に祀られている四十七士の霊前には討ち入りそばや大石の好んだものが供えられます。
コロナ禍前は一般で参加者を募っていて知人が参加した記憶があります。
基本は一見さんお断りのお茶屋さんです。

まとめ

大石内蔵助は山科に住んでいたそうですが、よく撞木町まで遊びに通っていたなぁ~と思いました
きっと徒歩で繰り出していたと思いますが、きっとお酒も飲んでいた事でしょう(笑)
遊んだ帰りに徒歩で山科まで帰りたくない!と思う筆者でした。
撞木遊郭跡は石碑が残っているくらいで建物などは無く、普通の住宅街ですが、
石碑や廓への入り口の門はいつまでも残って欲しいですね。

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この記事を書いた人

海外生活を経て改めて日本の文化に興味を持ち
遊郭建築や古い建築物を巡っています。
花街の歳時記を記録していきます。

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